2021年8月31日火曜日

 ニューサンの51周年祭、そのうちやります!

 毎年8月はニューサンの周年祭があります。8月25日が創設日です。お陰様で、転覆しそうになりながらも、何とか今月で51年を迎える事ができました。去年の50周年祭は、お店が休業中ではなかったので、無事みんなでお祝いする事ができて良かったな〜とつくづく思います。 

マスターの姉で創設者の真子ママ
この25日も、51年前から?通ってくれてはる常連さんの井川さんが、今年もお店にお祝いの御品を持ってきてくれはりました!毎年覚えててくれはって、ほんまにありがたいです❤︎ 井川さんは、ニューサン開店当時学生さんで、よう大ママ(真子ママ)に、「あんたまだおんの!あんたおったら客入ってけーへんから、はよ帰り!」とかボロクソ言われながらも通ってくれはった我慢強いお客さんですv(^0^;)vこれは関西人独特の言い回しで、大好きな人や気に入った人やから、そう言うてからかうんです。井川さんはそれを知ってはったから、何言われてもニコニコしてくれてました。その証拠に大ママは、よう井川さん連れてお寿司食べに行ったりしてはったから、可愛がってはったんわかります。

 関西人独特の言い回しは、よそでは通用せーへん。自分でボケて、自分でつっこんだり、関東人には理解でけへんところがオモロいんですわ。

マスターとスイートメモリーズ

 そんな大ママも、まさか51年後に、“コロナ”なんちゅう感染病が流行るなんて思いもせんかったでしょう。大ママの時代は、「あんたまた来たん!」なんて言われてるお客さんもいたけど、今は「こんな時に、よう来てくれはりました!」と泣けてきます。大ママは、肺がんで余命宣告されてからも店に出てましたが、ちょうどお盆の頃になると、「私、お盆やから帰ってきましてん」と、シャレにならへん冗談言うて、お客さん返事に困ってはったわ(^^;;) 今年は帰ってきたら「えらい暗いな。なんで店休んどんねん!」と思ったかもしれへん。今年の8月は周年祭でけへんかったなあと思ってたけど、29日に行われた『青木美香子とスイートメモリーズ』のニューサンでの動画配信の時、バンドの皆さん全員店のTシャツ着て、ちゃんとお店の誕生日も覚えててくれはって、マスターとプチお祝いしてくれはりました。青木さん、林さん、バンドの皆さん、ありがとうございました! 緊急事態宣言解除されたら、そのうち51周年祭やりますね〜❣️

2021年8月24日火曜日

初めて会ったその日から、恋の花咲くこともある❣️

 最近ニューサンのホールを動き回って働いてくれているバイトさんは、そのほとんどが10代、20代の学生さんやOLさん。私の高校時代からの親友の娘さんもバイトに来てくれているのですが、みんな娘のようでとても可愛いです。「よく働いてくれて助かってるよ〜、ずーっといてくれてもいいんだよ〜」と言ったら、友人に「冗談じゃない!行かずごけになったら困るわ!!」と叱られました。

出会った頃のえことしんちゃん
でも、お店で出会って、結婚した人もいるんだよ〜(^_-)⭐︎ 

 私のいとこの“えりこ”がまさにそう!えこが大学生の時に、ちょこっとだけバイトに来てて、その間にお店で出会ったのが、今の旦那さん。その旦那さんも、常連さんとかではなく、たまたまお店を知ってる人に連れられて、その日初めてニューサンに来ました。そこに“えこ”がおしぼりとメニューを持って登場。その瞬間二人は一目惚れして恋に落ちましたー❣️こんなの嘘みたいな話ですが、本当の話なんです!彼は真面目な中学校の先生でしたが、えこに何も告げずこのまま帰るのは、『悔いが残る!』と、一緒に来た人に相談し、えこに名刺を渡しました。受け取った彼女もどうしても忘れられなかったので、思い切って連絡を取りました。それから二人はお付き合いをし、トントン拍子で結婚しました~v(^^)v。彼がお店に来たのは、その日たった一度きり。その日に彼女が出勤してなかったら、彼がその日の飲み会を断っていたら、或いは他の女の子がメニューを持って行ってたら・・・全く運命は変わっていました。

今でもずーっと変わらず、仲良し夫婦です
二人は出会わなかったかもしれない。これぞ運命の赤い糸で結ばれた二人ですよね〜❤️今では、二人の娘たちももう就職し、幸せに暮らしています。

 娘さんが店にバイトに来ている私の親友も、旦那さんと仲良し?で、よく旅行すると言ってました。旅館の部屋出しでの食事の時は、最初から最後まで無言だと言ってましたが(^_^;)。そう言えば、以前バイトの女の子達と食事に行った時、おうちの話になり、「お父さんは、いつもお母さんにブツブツ言われてま〜す。お父さん、食事が終わったら、流し台まで食器を持って行くんだけど、そのまま置いてくるから、いつもお母さんに、『そこまで持って行ったら、ちゃんと水につけといてくれないと、カピカピになるでしょ!』って言われてますが、私もそう思います!」と。娘が多いおうちのお父さんは、肩身が狭い感じです^^;; 昔のお父さんよりは、ずっと頑張ってるんだけど、もうちょっと頑張れ!!(^o^)/

2021年8月5日木曜日

想いでをありがとう!ラスカルズの石田さん(b)とニューサン常連だった岡田さん

 またまた緊急事態宣言により、休業しなくてはならなくなりました。オリンピックが開催される段階で、この日が来るのは想定内でした。今、過去最多の感染者数が出ているのに、 オリンピックは中止にならず、恐らくパラリンピックも高校野球も開催されるのは、ちょっと理解し難い感じがします。

ジェフ夫妻、ケイティ&サム、上)岡田さん
こういったお祭りムードは、当然人々の緊張感を緩める原因になるし、それでいて、緊急事態という矛盾に首を傾げます。テレビをつけると、感染拡大により、医療がひっ迫しているという悲壮な報道の後に、にこやかにオリンピックの結果を伝える様が、なんか滑稽でなりません!スポーツ選手に罪はないので、彼らの努力や熱いパフォーマンスには感動し、もらい泣きしたりしますが、日本政府はスポーツは止めないけど、経済は止めるのか?どちらが大事なんですか?と思う気持ちも否めません。私はスポーツは平和の祭典であり、コロナ感染や経済を止められて苦しむ人々がいる時に、あえて今必要なことなのか?と問いたいです。

 このコロナ渦で亡くなられた方の追悼もさせて頂きたいと思います。ニューサン常連さんだった岡田さんは、コロナ渦でお会いできない間に、肺がんであっという間でした。

1975年頃のラスカルズ  ニューサンにて
ジャズに関わらず、音楽全般が大好きで、ラスカルズ、ハートフルファンクス、Mitch、ブルームーンカルテットなど、しょっちゅう店に足を運ばれ、若いミュージシャンとも仲良しでした。新宿ジャズにも毎年行き、キャロライナシャウトの深澤さん(p)はじめ、東京のミュージシャンとも交流がありました。あまりに存在感が大きかったので、ショックでなりません! 

 ラスカルズのベース石田さんは、10年くらい前から施設に入っておられましたが、最近お亡くなりになりました。石田さんはカッコよくて紳士で優しくて、小さい頃から大好きなおじちゃんでした。ちょうど夏の今頃、毎年行ってたラスカルズの合宿で、石田さんのおじちゃんと一緒にプールで泳いだり、石田さんのバンド『トリオイースト』で歌わせて頂いたことも思い出されます。<Jast a little while to stay here>のように、輝く天国の扉に向けてマーチングしながら召されて逝かれたのでしょう。たくさんの想いでをありがとうございました!ご冥福をお祈り申し上げます。